憧れのVanLife32 スパーキーが教えてくれたこと

COLUMN

2020年06月01日

5月20日の深夜、我が愛犬スパーキーが亡くなった。

5月17日に12歳の誕生日を迎えたばかりで、18日には、皆で裏山に行って朝食を食べ、元気にトレイルを歩き回っていたことを考えれば、突然の死だったようにも感じるが、6歳の時に「アジソン病」という不治の病に罹り、獣医さんから「せめてあと3、4年持てば・・・」と宣告されていたことを鑑みれば、それでも長生きしたのかもしれない。

だがそういう事情を理解しつつも、あまりにも突然の死に、未だにその実感が湧かないし、その現実を受け入れられないでいる。

この「Van Life」の連載の2回めで、自分がVanを手に入れたのは、少しでもスパーキーと一緒に旅をしたいからだ・・・と言ったが、Van Lifeを始めて、僅か1年でヤツは他の世界に旅立って行った。

振り返れば、通算で20日間ほど一緒に旅をしただけだ。

それでもスパーキーはVan Lifeの旅の相棒として、ぴったりの性格をしていた。

スパーキーには幼い頃から、人が口にするものを、絶対に与えないようにしていたので、狭い車内での食事中も決して欲しがらなかったし、我々が食事をしている最中は「ボクには関係ないですよね」という雰囲気で、拗ねたように長々と寝そべっていた。

幾度かトレイルの取り付きの近くで宿泊することもあったが、新しいトレイルを歩くことに身体全体で喜びを現し、わざと急な崖を下り降りて、得意気な表情でこちらを振り返った。

なによりもスパーキーは優しい犬だった。

他の犬には決して吠えることはなく、一度、他の犬の飼い主がリードを放ち、スパーキーに襲いかかった時も、すぐに仰向けに寝転がって無防備な体勢となり、「ボクは争う気はまったくありません」という態度を取った。

我が孫娘たちと接する時も、いつも穏やかで、彼女たちがリードを握る時は、決して引っ張ることもなく、その横をのんびりと歩いた。そして留守番して、そのご褒美にクッキーを貰う時も、「ヨシ!」の合図を受けても、優しくその手からクッキーを奪っていった。

体重がもっとも多い時で40キロもあり、顔が黒くて泥棒顔で、時々、すごく悪い目つきをすることもあったが、ボクがこれまでの人生で飼った犬の中で、もっとも優しい性格の犬だった。

12年前、甲府で捨てられた犬の里親を探すボランティアの方から、秋田犬とゴールデンレトリバー系のミックスが産まれたと聞き、生後2ヶ月くらいで会いに行った。その時に他の兄弟たちを押し退けて、真っ先にボクの腕に飛び込んで来たのがスパーキーだった。だがあまりにも人相(犬相?)の悪さに、他の兄弟犬を抱こうとすると、スパーキーはそれに割って入り、「ボクを貰って」と派手にアピールした。そのあまりにも弾けた様子に、「スパーキー」と名付け、育てることにしたのが、昨日のことのように思い出される。

12年の生涯のウチ、その半分の6年間はアジソン病のために、毎日の投薬が続いたが、冒頭でも言ったように、前日までは山を元気に歩き回り、夕刻までは自分の脚で外に出て用を足した。

眠る前に何度か吐いたので、スパーキーの部屋を暗くして寝かしたが、夜中にボクがトイレに目覚めると、ボクの寝室の前で倒れ込んでいた。そしてそれから2時間ほどで、静かに息を引き取った。

誰にも迷惑をかけることもなく、何日も苦しい姿を見せることもなく、静かに、それでいて毅然と旅立って行った。

本当に、本当に立派だったよ、スパーキー。

あれから幾度も幾度も、スパーキーの死の意味について考えた。

「世の中がこんなに大変なんだから、ボクのことはもう構わなくてもいいから」

そんなメッセージを遺してくれた気もする。

一度、仕事で名古屋に行った時に、車内で待たせていたはずが、ホテルをチェックアウトして玄関を出た時に、そのホテルの正面で伏せの姿勢で、当たり前のように待っていたのが、未だに謎のままだ。

謎と言えば、きちんと荷台のケージに鍵をして待たせていたはずなのに、クルマに戻って来たら運転席で、雇われた運転手のように行儀正しく待っていたこともあった。

もしもスパーキーがなにかの魔法を使っていたとするならば、もう一回だけでいいから、お願いだから、その魔法を使って、元気な姿で戻って来てほしい。

でも哀しむのはもう止めよう。

スパーキーはあんなに立派に旅立ったのだから。そしていつの日か、スパーキーに再会するまでは、ボクもその前日まで、元気に走り回りたいと思うのだ。

スパーキー! 12年間、有難う。