VanLife 日本の旅Vol.6 大三島の秘密その2

COLUMN

2021年05月17日

 しまなみ海道の大三島のRVパークで、有名なユーチューバーであるMさんと出会った。まるでアイドルのような風貌の可愛いお嬢さんだが(いや実際にYouTubeではアイドルだ)、根はとってもしっかりとしており、栃木から愛猫と共に、ハイエースのキャンパーでたった一人、VanLifeの旅を続け、この大三島にやってきたという。

 「ここに来る前は熊本とか九州も周って来たけど、あまり天候に恵まれなくて・・・またこの後、行ってもいいかな・・・」

 偶然にも、互いの好みである「角」のハイボールを呑みながら、彼女は真剣な眼差しで続ける。

 「ところで島の反対側に買い物に行った時に、大山祗神社に行きました?」

 確かにその日の午後、我々が滞在する島の東側には営業している店はなく、西側のスーパーマーケットに食料品を買いに行った。しかしその「大山祇神社」の存在には気が付かなかった。

 「大山祇はご存知ですよね?」とMさんは訊ねる。

 日本書紀には詳しくないが、大山祇命(オオヤマズミノミコト)の存在は知っている。なぜなら大山祇命は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)のお父さんだからだ。

 ご存知の方も多いと思うが、河口湖の近隣の富士宮には、全国に1300ほどある「浅間神社」の総本山である「富士山本宮浅間大社」がある。もちろん河口湖にも構成資産の一部として世界遺産に認定された浅間神社がある。そして浅間神社こそ、木花咲耶姫が祀られている神社なのである。

 ここで少し面白い話をしよう。

 遠い昔、まだ神の世界と人間の世界が分かれていた頃の話だ。

 天の国から天照大御神(アマテラスオオミカミ)の孫である邇邇芸(ニニギ)が降臨し、大山祇命は娘の木花咲耶姫を、邇邇芸に嫁がせた。でその際に、木花咲耶姫の姉である石長比売(イワナガヒメ)も一緒に嫁がせた。

 木花咲耶姫は絶世の美女として名高いが、生憎、石長比売はそうでもなかった。

 邇邇芸は木花咲耶姫と結ばれたことは喜んだが、石長比売は突き返し、そのことに大山祇命は激怒した。

 そのような経緯があり、邇邇芸と木花咲耶姫も不仲になったが、そんな中、木花咲耶姫は身籠った。邇邇芸はその子を自分の子ではないと疑い、木花咲耶姫は邇邇芸の子であると主張した。そしてそれを証明する為に、木花咲耶姫は産屋に火を放ち、その燃え盛る産屋に於いて、3人の子どもを産んだ。その子どもの孫が、初代天皇である神武天皇である。

 ということで、浅間神社は安産を願う神社であり、防災を祈願する神社でもある。

 そしてつまるところ、この瀬戸内の小さな島である大三島こそが、日本の歴史の始まりであるとMさんは説くのである。

 いやあ・・・知らなかった。まったく知らなかった。すでに言ったが、この大三島に来るのは2度め。が自転車で走り回ってばかりいて、そんな由緒正しき歴史の島だとは、まったく気付かなかった。

 翌日、再び島の反対側に行き、Mさんのオススメ通りに「大山祗神社」を訪れる。

 境内には国の天然記念物に指定されているクスノキ群があり、やはり国の重要文化財に指定されている切妻作りの拝殿が厳かに我々を出迎える。

 この旅のスタートに於いて、奈良の法隆寺や薬師寺なども訪れたが、大陸由来の仏閣とは違い、質素、素朴で、高貴な佇まいを感じる。そして実は大三島という地で気づいた方もいるかもしれないが、ここは全国に400ある「三島神社」の総本山でもあるのだ。

 さらには古代から「戦いの神」として、多くの武将が訪れ、宝物殿には国宝級の鎧や甲冑などが数多く展示してある。

 1975年の着工から約四半世紀の時を経て、1999年に「しまなみ海道」は完成した。それとともに、そのルート上には多くの観光客が訪れ、今現在も賑わっているが、ルート上から外れた島の反対側では、時が止まってしまったかのように、ひっそりと悠久の歴史が遺されているのである。

 そして出会い、別れ、寄り道、沈殿、放浪を続けながら、ゆったりとした時の流れを感じるのも、VanLifeの旅の醍醐味と言えるのである。