VanLife 日本の旅Vol.11 新たな旅の始まり

COLUMN

2021年07月16日

 2年前の初夏、1996年製の古いフォードのバンを手に入れ、ボクのVanLifeはスタートした。

 きっかけは色々とあるが、大きな要因としては、愛犬のスパーキーの存在があった。

 毎年、冬になると、渡米して一ヶ月以上、アメリカの国立公園を彷徨い歩くことが恒例となっていた。その間、もちろんスパーキーは日本で留守番である。


せめて国内の旅には、スパーキーと一緒に出かけたい。これがVanLifeを始めた理由のひとつである。(当ブログ 憧れのVanLife Vol2参照)

 暖かい季節は、地元の富士五湖を離れることはできないが、寒くなれば隣県の静岡県の各所を旅し、いつかはスパーキーを連れて、九州まで旅できればいいなあ・・・と漠然と考えていた。

 ところが昨年の5月に、スパーキーは他界した。

 スパーキーと共に、九州を旅することは叶わなかったが、車齢25年のバンに乗って、四国や中国地方に寄り道しながら、なんとか阿蘇まで行き、自転車で外輪山を走ることは叶った。

 九州からの帰路は、山口県に寄り、秋吉台を歩いたり、萩の古い町並みを散策した。

 合計3500キロもの距離を走り、41日間の時間を費やして、この旅を終えたが、この旅はある意味、スパーキーとの約束を果たす旅だったのかもしれない。もちろん本人(本犬?)のスパーキーは、そんなことはお構いなしに、今頃、天国で緑の野を元気よく駆け回っていることだろう。

「この世に無駄な出来事はひとつもない。すべてに必然性があるのだ」

 長い人生を行きていると、物事の必然性に後から気付き、驚かされることが多い。

 自分は何故、このタイミングでVanLifeを始めたのか?

 もちろん元々アウトドア・ライフが好きで、テントを荷台に積んで旅に出るようになって、すでに40年近くになる。

 1995年に河口湖に移住してからは、生活そのものがキャンプのような暮らしだったので、わざわざオートキャンプはしなくなったが、キャンピング・トレイラーを引っ張って、家族でスノボに出かけたり、近年ではすべての荷物を背負い、ロングトレイルの旅にも出るようになった。

 つまり自分は、星空の下で眠ることが、根っから好きなんだろうな、と思う。

 昨年の正月頃から、新型コロナウィルスの感染が拡がり始め、そのタイミングで渡米した我々は、僅か数日のタイミングで無事に帰国して、その後すぐに、日本では一回目の緊急事態宣言が発令された。

 そして日本だけではなく、世界中の人々の生活が一変してしまった。

 ちょうど10年前に発生した東日本大震災の時も、我々は未曾有の大災害を前にして、酷く打ちのめされたが、その後に、それでもすべての人々は一丸となって、その困難を乗り越えようと努力した。

 だが残念なことに今の新たな感染症の前では、人々は分断され、対立し、憎しみ合い、社会に深い溝を作ってしまった。

 元の生活に戻れるのか? それともまったく別の世界が待っているのか? その答えは今の所、誰も判ってはいない。 

 だがみんな少なくとも、この2年の時を経て、自分の人生にとってなにが必要なのか? それをじっくりと考えるきっかけは十分に与えられたと思う。それはモノだけではなく、自分にとって大切な人物、あるいは職業や住む場所までに、考えが及んだに違いない。

 そのタイミングでVanLifeを始め、小さな旅を積み重ね、そして今回は40日を超える大きな旅を終えた。

 その大小の旅の中で、自分が得たモノは、やはり人々との小さな出会いと絆であった。

 VanLifeに留まらず、これから自分の人生がどのようなスタイルを選択するのか? 人々にとって、どのようなライフスタイルを取り入れて行けばいいのか? その答えとなる小さな灯火が、なんとなく見え隠れしているような気がする。

 この旅で出会った人々と一緒に、その指標となる提案をしようというプランも芽生えて来た。

 だがまだまだすべての答えは深い霧の中である。

 しかし今の社会に現存する深い分断の溝を、少しでも埋めるべく方向性を秘めているという実感はある。

 我が愛犬、スパーキーは、人や他の犬に吠えることはなく、また争いをもっとも嫌った。他の犬の攻撃に遭うと、すぐにお腹を見せて降伏の態度を示した。

それでも旺盛な好奇心に溢れ、山ではいろいろな動物を追って走り回った。

 我が愛犬を見習って、旺盛な好奇心を以て旅を続けたい。そして対立や憎しみではなく、深い愛を胸に、人々と接したいと思う。

 それこそがVanLifeの、大きな必然性なんだと思う。