旅は道連れ世は情け。

COLUMN

2018年03月15日

旅に於いて様々な出会いがある。

しかも一箇所ではなく、移動が続く旅だと尚更、その機会が増える。
そしてそれらの出会いが、新たな旅のプランも生み出す。

思い返してみれば、今回、グランドキャニオンのサウスリムからノースリム、そして再びサウスリムに戻って来る「Rim to Rim to Rim」も、旅先でのひとつの出会いから生れた。

一昨年、初めてザイオンを訪れた時のことだ。まずはビジターセンターに立ち寄ってお勧めのトレイルを訊ねたら、「オブザベーション・ポイント」を勧めてくれた。

ザイオンにはいくつかトレイルがあるが、難度や体力に合わせて3段階にランク付けされている。

もっとも優しいランクは、幼い子どもたちでも歩けるトレイルで、往復30分から1時間程度のモノ。もっとも難しいランクは4コースあり、オブザベーション・ポイントはそのうちのひとつである。(もちろんエンジェルス・ランディングもそのひとつだ)

我々がそのトレイルに取り付いた時に、二人組の男性がすでに先行していた。その時はモアブでの55キロのトレイルランのレースに出場した直後だったので、気分はすでに戦闘モード。先を行く二人組を頂上までに捕らえて追い越すつもりでいた。

我々の目論見は成功したが、その差は僅か5分ほど、彼らもかなりハイスピードで登頂して来た。
こうなると、まったく初対面なのに、汗と笑顔の挨拶となる。

「オレはどこそこのレースに出た。」「こっちはこれこれ、こんなチャレンジをした。」

そんな武勇伝に花が咲く。

その時に耳にしたのが「Rim to Rim to Rim」である。(厳密にはその前に話を聞いていたが、自分の中で具体化したのは、この出会いが大きい)で、今回の旅のメインイベントの計画が出来上がった。

一昨年のザイオン訪問は、「グランドサークル」の旅の最終章を飾る訪問であった。「グランドサークル」とは、アリゾナの小さな街「Page」を中心として(このPageにも「ホースシュー・ベント」や「アンテロープ・キャニオン」と言った有名な景勝地を有するが)半径250㌔の円を描くと、その円の中に、8つの国立公園と10の国定公園が含まれる。しかもその8つの国立公園とは、グランドキャニオンを含め、アメリカを代表するスケールのモノばかりである。

一ヶ月ほどかけてその「グランドサークル」の旅を終え、ザイオンを離れる時に立ち寄ったのが、ザイオン国立公園の南ゲートに位置するスプリングデールの町外れの、一軒のジュエリーショップである。

「シルバーベア」というそのジュエリーショップは、スプリングデールに軒を連ねる、その他の華やかなショップとは違って、年老いた女性がひっそりと経営していた。

我々はその老女からザイオンの歴史を聴き、お土産を買う以上の思い出となった。

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今回、2年ぶりに訪問すると、その老女の姿はなく、初老の女性にそのことを訊ねると、「ウチのママだけど、もうすでにリタイヤしたの」と。

が、せっかく日本から訪ねてくれたからと言って、自宅(店の近所)から呼んでくれ、懐かしい再会を果たした。

するとどういう偶然か、この旅を通じて、その店で初めて日本人に声を掛けられた。(渡米後、3週間で初だ)

ボクと同年代の女性で博多出身。今ではアメリカ人のご主人と子どもたちと、ソルトレイク近郊に暮らしていると言う。

店内で長話をした後、そのまま別れたが、その日の夕方、スーパーマケットで買い物していたら、またその女性に会った。まあスプリングデールというのは狭い街なので、そのくらいの偶然はあるだろうが、それにしてもなにかの縁を感じる。

「縁」と言えば、グランドキャニオンで「Rim to Rim to Rim」を終え、一旦、Pageの街に移動、そこで次の旅の準備(洗濯やキャンプ道具の整理)をして、ザイオンに向けて出発した。

カーナブの街を通過して、オーダービルという小さな街でトイレ休憩を入れた。駐車場に戻ると、大きなトラックの荷台に、キャンプ道具を積んだ若者たちのグループが居た。

どこに行くの? と声を掛けたら、ザイオンに行くと。テキサスから来た6人の若者だ。

同じザイオンでも、彼らとは違うキャンプ場で宿泊することになっていたので、その場でお互いに「キャンプを楽しんで!」と声を掛け合い別れた。

ところが、ザイオンに到着して我々がテントを設営して、夕食の準備をしていたら、彼らのクルマがそこを一旦、通過して、バックで戻って来て歓声をあげた。

「あれ違うキャンプ場じゃなかったっけ?」と訊ねると、「そこはいっぱいだったから、ここにした」と。

で、翌日、ユタ州に強い寒波がやって来て、キャンピングカーでのキャンプならまだしも、テント泊(特に我々のような小さなテントでは)では、とても耐えられる寒さではない。

我々はキャンプの予定を切り上げて、スプリングデールの街に宿を求めた。で、キャンプ場を撤収する際に、テキサス軍団のキャンプサイトに行き(彼らはトレイルを歩いており、不在だった。)、余った薪と置き手紙をした。

それから5日ほどして、夕方、スーパーマーケットの駐車場で、また彼らと再会した。

「明日、帰るんだっけ?」

彼らの予定を聞いていたので、そう訊ねると「そう、明日の朝。で、実は薪のお礼が言いたかったんです。我々もあのキャンプで寒さに震えて、頂いた薪に救われて・・・」と。で、せっかくだからと言って、みんなで撮った写真がこれ。

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「来年はみんなで日本に行きます。富士山に登りたい」

「おお! いつでもウエルカムだよ!」と若者たちみんなとハグして別れた。

グラスにワインが残っていれば、新たなワインが注がれることはない。少し心残りな別れがあってこそ、また芳醇なる出会いが生まれる。

旅はいつもそれを教えてくれる。